『親子の手帖』おはなし会

昨年(2018年)の10月、『親子の手帖』のおはなし会に参加しました。
『親子の手帖』読書感想ついては、ここに書いた。

この記事を友人で主宰者のかとちゃんが著者の鳥羽さんに届けてくれて、鳥羽さんから「家宝にしたい」というお言葉をいただきました。やっほー!

かとちゃんの開催報告
『親子の手帖』おはなし会を開催しました。

わたしも参加した感想をまとめようと思ったけど、まとまる気配なく3ヶ月経ってしまったので(笑) もうイベント中に取ったメモをそのまま載せることにします。 これはこれで、「まとまらなかった」という記録になるだろうし。

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■多くの子育て本が、ひとりひとりにフィットしないのは当たり前。 方法が具体的すぎる。

■『親子の手帖』に書いたのは、具体論ではなく土台にある考え方そのもの。 子育ての悩みは、基本堂々巡り。 堂々巡りを「考えている」と錯覚している。思考のアップグレードが必要。

■親子関係を特別視するのは、逆に危険。 親と子という「関係性のひとつ」に過ぎない。

■「寺子屋」では面談を年に2回行う。 その時に来るのは、6割が母親、2割が両親とも、2割が父親。

■親は子供のことを「甘えている」「わたしの言うことを聞かない」と言うが、僕に言わせて貰えば、甘えているのはお互い様。例えば、他人に「あなたはわたしの言うこと聞かないね」などと言いますか?「言うことを聞かない」という考え自体が甘え。他人にはできないことを、子供にはしてしまう。 「親であること」を盾にして、簡単に、一方的に断罪できてしまう。親子関係は最初から「偏り」が基礎になっている。その理由のひとつは、出産〜乳幼児時代の子育て体験。自分の時間どころか睡眠や食事の時間もままならず、乳児に振り回される、壮絶な体験。わたしも我慢したのだから、あなたも我慢しなさい。意識的にせよ、無意識的にせよ、ある種の復讐的なものさえ感じられる。「人というのは、多かれ少なかれそういう部分があるのかもしれない。」と認識する。清く正しい位置に自分を置く(置こうとする)ことで、見えなくなってしまう部分がある。

■親が子供のことを「わかる」とか「わかりたい」とか思うのは、つまづきの始まり。 もちろん「わかりたい」と思うのは、当然だ。しかし、子供を分身のように見てわかったようなつもりになるのは、言ってしまえば子供にしてみたら迷惑。 「子供のことはわからない」と深く知る。 常に「わからない」ことを前提にする。 親と子は別の言語を持っている。 わからないからこそ、子供の言葉をそのまま受け止めよう、抱きしめようとする。

■わかったような親に対し、子供はだいたい2パターンに分かれる。 めちゃくちゃ反発する子になるか、めちゃくちゃいい子になる。
反発する親子は、それだけで大丈夫。 子供にとってみれば、反発は全力の対話である。 その場合は「子供は自分のどこに反発しているのか?」と自問自答する。 答えを子供に聞いてはダメ。自分に問う。 子供がなんの理由もなく反発することはない。 「自分の気づいていない部分が、自分の中にあるのかも?」と考えるべき。
めっちゃいい子は、深刻なパターン。 親が子供を封じ込めている。 親が子供に「(わたしはあなたのことを)わかっている」というアピールをし続けると、子供はそんな親を守るという方向にシフトする。 しかし、子供はどこかで、本当は親は自分のことをわかっていないと気付いている。 子供が優しいからではなく、そういうやり方しか知らないから。 親の言語の檻に囲われている子供は、救出がとても難しい。 大変だ。(という思いをそのまま本に書いた) 問題意識を共有したい。
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これは「鳥羽さんがこう言った」ということではなくて、わたしが受け取ったことをメモしたものなので、鳥羽さんが言いたかったこととは違うかもしれません。わたしがこういう風に理解したよってことです。
この後は質疑応答で、書ききれないしプライベートな内容も多いからここでは割愛。 また別の形で記事にするかも。



「親と子は違う言語を持っている」という部分。
わたしは、人と人は例えば同じ日本語を使っても、その言葉に乗せている意味というか想いというかは違う世界にあると常々考えていて、やっぱりそうだよねーと頷きました。 みんなそれぞれの文脈を生きている。でもって、それは全然悪いことじゃないと、そうわたしは思っていて。
「わからない」という前提に立つと、わかろうとする意識が生まれる。 親子のことにしても、人と人のことにしても「寄り添おうとする姿勢」に重要な意味があると思う。 わかるかどうかはさておき、わかろうとして手を伸ばすという行為そのものが大事だと。 伸ばした手と手が触れ合う(かもしれない)、その関係の部分に何かが生まれる(かもしれない) そんなことをよくつらつらと考えています。



「言うことを聞かない問題」は、なかなか厳しいことを言いますな〜と思ったけど、客観的に見れば全くその通りで、厳しいって思うこと自体が甘えなのかもなー。



鳥羽さんは、静かに、おだやかにお話される方だなと思いました。ひとつひとつの言葉を、丁寧に編み出していく感じ。
『親子の手帖』を読んだ時、この人はたくさん言葉を知っているなあ、語彙が豊富だなあと感嘆しました。初めて知った単語がいくつもありました。
だけど、話す時は、始終平易な言葉だけを使っていて、それがすごく印象的でした。 きっと塾で生徒や親に語りかける時もこういう話し方をしているのだろう、これが「先生」の話し方なのだろうと想像しました。
そして、限定的な言い方をしない。わたしはそれがとても好きだと思いました。
たぶん、あいまいなものをあいまいなまま受け入れられる人なんだろうなー。
世の中には、何にしても白黒ハッキリつけられないことの方が多いと思うんだけど、わかりやすくするためにとかインパクトを与えるために白黒つけたがる人が多いような気がするし、そうできる人が「頭がいい」「できる人」のように受け容れられる傾向があるような気がしているので、鳥羽さんみたいな方に会うとわたしはちょっと安心します。
言葉にして限定することの危うさを知っているというか。



ちょっと話がそれるけど。
鳥羽さんは旅行が趣味で年に3〜4回は行っているそうです。
ブレイクタイムで、おすすめの旅行先を、旅先で撮影した写真と共に紹介してくださったのだけれど、この「旅」の話になった時に鳥羽さんがそれまでとはまったく違う顔になって。
「どこがおすすめ」ということよりも、「すごい熱量で話していた」ということが強く印象に残って、それがすごくいいなあと、旅の話をしてくれてよかったなと嬉しくなりました。
この文章を書きながら、あの熱量を思い出して、やっぱり嬉しい気持ちになる。



最後に、鳥羽さんが自己紹介がわりに紹介していた、日本財団DIVERSITY IN THE ARTSのインタビュー記事。

福祉施設と学習塾、福岡から発信する、「遊び」と「余白」のある居場所

NPO法人まる・代表理事の樋口龍二さん、第二宅老所よりあい・所長の村瀬考生さんとの対談です。
彼らは「世の中を良くしよう」というベクトルではなく、「目の前のこの人と楽しく生きるにはどうすれば?」 という結果、こうなった。「ハイタッチしたくなる幸福な対談だった」そう鳥羽さんはコメントしていました。
樋口さんも村瀬さんも鳥羽さんも、ほんと素敵だなー。
とても良いインタビューなので、ぜひ読んでみてください。

About

花咲マリサ
イラストレーター、フラダンス講師。
このブログでは、街中で見かけたスタイルのある人や、日々考えたこと、読んだ本、フラのことについてイラストでご紹介しています。
ゆるーく「脱プラスチック」「ごみゼロ」生活を心がけています。日々の試行錯誤の記録。
ストイックでないミニマリストになりたいです。
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