ここにないもの【読書感想】
1年ほどまえ、友人に「野矢茂樹さんの論理の本を読むといい」と教えてもらいました。
野矢茂樹さんは哲学者で、論理に関する本をたくさん書かれています。
そのときは、タイミングがきたら読もうと「読む本リスト」にメモしました。
わたしの場合、読書はタイミング重視です。
「あ、読みたい!」となったときに読むのが、いちばん夢中で読めるからです。
先週、NHKのラジオ番組『子ども科学電話相談』に、野矢さんがご出演されていました。
『子ども科学電話相談』は、全国の子どもたちからの科学に関する疑問や興味に、専門の先生が本気で答えるという生放送の番組です。
ときには、まだ言葉もおぼつかないような子どもからの質問に、1回きりの生放送で、相手の表情が見えない電話で説明するという内容がなんともスリリングで聞き入ってしまいます。
野矢さんは、今回がはじめての出演。
ふつう、はじめて出演する先生は緊張しているので(それはそうだ。先生だって緊張しちゃうよ)少しぎこちなくなってしまうことが多いのです。
でも、野矢さんは、落ちついた声でゆっくりとお話されていました。
「こんにちは。きみは、こういうことが不思議なんですね。それじゃあ、一緒に考えてみようか。たとえば、こういうことについて、どう思いますか?ぼくはこういう風に考えるんだけど、きみはどうかな」
はじめから、子どもと同じ目線。
こういう状況でそれができるというのは、きっと普段から同じようにしているからでしょう。
その声とお話の仕方を聞いて、わたしはすぐに彼のことが好きになりました。
それで、彼の本を読むタイミングは、いまだと思いました。
ことば、時間、死、他我(自我に対して、他人に存在すると考えられる我)、存在など、普遍的な哲学のテーマを、難しいことばを使わずに、対話形式でつづった本です。
対話するふたりの名前が、エプシロンとミュー。
つまりεとμのことですよね。そこにまずきゅんとしてしまった。
目次を見ると、こんな感じ。
1 「人生は無意味だ」って、どういう意味なのだろう
2 十年前のぼくも、ぼくなんだろうか
3 ことばで言い表せないもの
4 自分の死を想像することはできるか
5 未来は存在しない?
とくに気に入った文章を本の中からひいてみますと
「言ってみれば、ことばが<ものさし>みたいになってるわけだ。ことばをあてがうことで、そこから何かがはみ出てるってことが感じられてくる」
「何かをことばで言い表すと、そこには何か言い表しきれないもどかしさみたいなものがつきまとうことがある」
「そのもどかしさっていうのは、そこまでことばで言い表したからこそ、姿を表したものなわけだ」「そいつはずっとそのまま言い表せないのかっていうと、たぶんそうじゃない。<透明な深い青>とか言ってみると、そこであらためて色の透明さとか、深さみたいなもんが姿を表して、<透明>と言ったっていろんな透明があるとか、<色の深さ>ってどういうことなのかとか、ことばは、何かを語ることで、語りきれていないものを影のように差し出してくる」
ここにないもの – 新哲学対話 (中公文庫)
この「影のように差し出されたもの」を、なんとかすくいとって表現しようと試みたものが、イラストだったり音楽だったり写真だったり小説だったりするのだろう、そんなことを思いました。
読んでいる間、うれしい気持ちになったり、せつない気持ちになったり、かなしい気持ちになったり、あかるい気持ちになったり。それらがぜんぶ一緒にくるような、ふしぎな気持ちになりました。
でも決して、いやな気持ちではなく、いい気持ちです。
なんとも言えない、いい気持ちです。
この本は、哲学の入門書にあたるのでしょうけれども、それだけではない味わい深い魅力があります。
植田真さんのイラストも最高にすてきです。
愛らしく、ほがらかでありながら、どこか謎めいた雰囲気があります。
トーベ・ヤンソンのイラストを眺めたときに受ける感覚と、少し似ている気がします。
*
すっかり野矢さんと植田さんのファンになってしまいました。
次はこれを読んでみようと思います。