親子の手帖
鳥羽和久さんの『親子の手帖』を読みました。
この本は、友人が絶賛し、著者の鳥羽さんをお招きしたお話会も開催していたことで知りました。
福岡市にある、毎年150人以上の小中高生が通う学習塾「唐人町寺子屋」の塾長および経営者でいらっしゃる鳥羽さん。
友人がそんなに心を動かされた方のお話ならわたしも聞いてみたいなーと予定を確認するも、先約があり参加できず。
残念に思っていたら、来月に2回目のお話会が開催されるとのこと。早速申し込みました。
わたしは子供がいないので、当然ながら子育てに悩んだこともありません。
たまに子育ての相談を受けることもあるけれど、経験がないから何を言っても一般論にしかならないよな〜とか、説得力ないよね〜とか、そんなことを感じていました。
「子育て経験がない人にはわかりっこない」と言われてしまえば、「そりゃそうです」としか言いようがありません。
(でもさ、人間には想像力ってものがあるし、自分の周りの子育てに悩む親たちの姿を観察したり、話を総集したりすると見えてくるものだって大いにあると、そう思うわけです。)
鳥羽さんにもお子さんはいらっしゃらないと、ダヴィンチニュースのインタビューで読みました。
子育て経験がないにもかかわらず、子育て中の親や思春期の子どもたちに慕われながら、彼らへの希望となるメッセージを発信しているのをみて、とても興味深く思いました。
もしかしたら、子育てしていないからこそわかる部分もあるのかもしれないな。
『親子の手帖』には、寺子屋の中心人物である鳥羽さんが実際に経験してきたことが、フィクションの形で描かれています。
ドキュメントじゃなくてフィクションというのが面白く、かえってリアリティがあると思います。
「これって自分の話かも」とより感情移入できるようになったり、子供がいない人も自分のことに置き換えて考えやすくなったりしたんじゃないかな。
タイトルに「親子の」とあるように、全体を通して思春期の子供とその親のエピーソードが綴られていますが、具体例が親子というだけで、人間関係やコミュニケーションの話だと、わたしはそう思いました。
「親と子」の部分を、「上司と部下」「先生と生徒」「先輩と後輩」「夫と妻」「わたしとあなた」と置き換えても通用する、対人関係の根っこにある部分。
基盤にあるのは、「自分」と「他者」の分離です。
それぞれが別の人格であると一線を引いた上で、寄り添うこと。
でも、対人関係の中で、家族、特に親子の関係は宿命的に近すぎて、距離の取り方が難しい。
「自分(親)」と「他者(子)」を切り離して考えることが、一筋縄ではいきません。
子に対する不安が募る時、それは子供が不甲斐ないから不安なのだというよりも、単に、親の私が私自身に対して不安なのだということに気づかなければなりません。目の前の子供そのものではなく、現在の自分自身に自信がないから、それを子に投影させているという事実を知らねばなりません。私は私、子は子、それぞれが独立した人格です。自己の不安を投影している目の前の子どもは、いかに血を分けた存在であっても、決してわたしのものではなく、子どもは最終的に、子ども自身の手で、自らの人生を切り拓いていかなければなりません。そうやって親が子どもを手放すことで初めて、子は自分のことは自分で考えなければならないということを学びます。親の目に映る自分を輝かせるためでなく、文字通り自分自身のために、人生を切り拓く術を身につけていきます。そしてそれによってのみ、子は「自立」を果たし、大人になっていくのではないでしょうか。
『親子の手帖』より引用
「子ども」を「相手」に置き換えて読むと、前の会社でチームリーダーだった時、新入社員への態度がまさにそんな感じだったのを思い出して「いたた……」って感じ。
読みながら何度も彷彿とさせられたのが、アドラー心理学。
引用の部分なんかは、まさに「課題の分離」の考え方じゃないかな。
『親子の手帖』を読んだ後に、アドラー2部作『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』を再読したのだけれど、めっちゃ刺さる上に、いままでとは違う部分が心に響いて面白かったです。
「課題の分離」はアドラー心理学の中心となる考え方で、「自分の課題と他者の課題を切り分けて考える」というものです。
この記事がとてもわかりやすい。
【アドラー心理学とは】「課題の分離」で人間関係の9割はうまくいく
『嫌われる勇気』では、勉強しない子どもとその親の例が出ていました。
そこでは、
親はその課題に介入してはいけない。
その代わりに親は「見守る」、それが自分の課題なのだと、必要な時にはいつでも支援の準備があると伝える。
というような説明がされていました。
子どもが勉強しないことで沸き起こる「不安」という感情をどう処理するか?は親の課題。
その不安を子どもに投影してはいけないよってことだと理解しました。
ここでも、子どもを「相手」に置き換えて読むと
相手が希望通りに動かないことで沸き起こる「不安」という感情をどう処理するか?は自分の課題
ということになります。
すると、相手との関係の中に浮かび上がってくる自分の本質や、不安や恐怖と真っ向から向き合わなくてはならない。
ひゃー……ちょっと心がひるむんだけど……
不安はネガティブな感情ではなく、生きていくのに必要なエッセンスであり、1人の人間として大切なものである。誰しも、不完全で、弱くて、矛盾を抱えている。清く正しくしなくていいんだよ。
というメッセージに、勇気をもらいました。
親の期待に応えて「いい子」でいようとする子、カンニングした子、障害のある子、死にたいと言う子への言葉かけのシーンにじーんときました。また、子育てに悩む親への真摯な姿勢にも胸を打たれました。
「こうするのが正しい」ということではなくて、これが彼の寄り添い方なんだなって。
言葉の端々に鳥羽さんのお人柄というか、親と子への深い愛情がにじみ出ているようでした。
そういうことから感じ取る学びって体に染み込んで長く残るので、『親子の手帖』はとても良書だと思います。
いくつかの大型書店で探したけれど、どこにも置いていなくて結局Amazonで購入しました。
長く読まれるべきだと思うから、棚差しでいいからリアル書店に置いて欲しいなー。
必要な人にこの本が届くといいんだけど。
あとがきに、鳥羽さんが大切にしているという幸田露伴の『趣味』という短文(現代語訳)が載っています。
わたしは露伴の娘の幸田文の随筆が好きでよく読んでいましたが、露伴の文章は読んだことがありませんでした。
凛とした美しい文章に心が震えました。
寺子屋ブログに全文があったので、ぜひ読んでみてください。
幸田露伴の『趣味』を読む
(※ブログと書籍で文末形式が違うので、雰囲気に差があります)
友人が鳥羽さんに会いたいと思ったように、わたしも早くお会いしたくなりました。
お話会楽しみ。
まだお席に余裕があるようなので、興味がある方、よかったらご一緒しましょう。