2018年の振り返りを振り返る
振り返りを何のためにするのかって、よく言われるのは「目標達成のため」だけど、わたしにとっては「自己観察の手段」です。
「観察」というのは、対象の実態を知るために客観的かつ注意深く見て、その様子や変化を記録すること。自己観察するとどうなるかというと、メタ認知できるようになる。
ここで言う「メタ」とは、「高い次元」という意味で、メタ認知とは「自分の認知を認知する」、つまり自分をより深く理解できるようになるということだと、わたしは理解しています。
自分のことを完全に理解するのは難しい(というかきっとできないだろう)と思うけれど「理解しようと努める」という行為そのものが大事だと思う。
自分のご機嫌は自分で取らないとね。
去年から、Facebookで「ウィークリーレビューグループ(WRG)」というグループを作って、振り返りをしています。
何かを成し遂げたいとかよりよく生きたいと望む際に大事なのは、目標を設定することよりも振り返ることなのでは。
そう気付いた時に、最初はメンバーが40人程度の振り返りグループに入りました。
誰かと一緒に行う方が強制力が働いて継続しやすいし、他者のノウハウも参考になるだろうと思ってそうしたんだけど、1年目は10ヶ月、2年目は6ヶ月ほどで脱落してしまいました。
(このグループには、共有のチェックシートに毎週チェックを入れ、2週間チェックが途切れると退室というルールがありました。)
何で失敗したのかな?と考えてみると、1年目は、目標設定の仕方を間違えた。
周りの目標が「資格を取る」「海外に住む」とか、格好良くレベルが高いものに見えて、自分も見栄を張って格好良さげな目標に設定。
これは「あとで考えてみればそうだった」ということなので、その時は「無理のない目標で実現したいし、きっとできる」と信じていました。
だけど本当のところは「実現したい」という願いはなく、当然ながら実現せず。
2年目は、1年目の反省を生かして、自分のレベルに合った本当に実現したいシンプルな目標にしました。
だけど、この年はわたしが愛している人達に不幸が重なり、精神的にも肉体的にも揺さぶられたる期間が長く続いた。
直接知らない人も多いグループにプライベートな話題を書きこむのも憚られ、距離を置くようになりました。
目的達成なんてどうでもいい、グループ抜けてもいいや。
そんな気持ちになってしまいました。
そして去年、3年目。
もう、自分にちょうど良いグループを、自分で作っちゃおう。
信頼してプライベートなことも素の自分を見せられる人だけを集めて、少人数でやろう。
2年目みたいなことが起きても継続できるようにゆるくやりたいから、ルールは各自の自由。
そういう状況でも切磋琢磨し合える人がいいな。
そう考えたときにすぐに顔が浮かんだ人に声をかけ、彼女と2人で残りのメンバーを決め、お誘いしてWRGを作りました。
現在のメンバーは4人。
個人的に「4人」というのはベストな人数だと思う。
3人だと少ない(お互いの密度が濃くなりすぎる)し、5人だと多い(各自の投稿を追うのが大変になってくる)。
4人はちょうど良い距離感で、なおかつ「誰も投稿しなくて自然消滅」なんてことにもなりにくいです。
WRGにはルールは特になく、それぞれが各自のペースで振り返りをしています。
ウィークリーと名付けたように最初は週に1回くらい振り返りすればいいかなと考えていたんだけど、わたしはほぼ毎日投稿するのが定着した感じ。
2年目の今年は、日々の振り返りの他に、毎月と四半期毎の振り返りも自然とするようになりました。
四半期毎の振り返りは、投稿だけでなくZoomを使ってディスカッションもします。
これも、会話した方がより深い学びがあるねってことで、自然とそうなりました。
メンバーの1人はアメリカに住んでいるので実際に4人で集まるのはなかなか難しいのだけれど、今年の5月に彼女が一時帰国した際には4人で集まって、リアル振り返りの会を開催しました。(楽しかった!)
昨日、今年最後のZoom振り返り会を開催しました。
今年はグループの投稿が活発で、年間の振り返りもいつも以上に充実していたように感じ、2時間があっという間でした。
わたしは振り返りを始めるまで長期的な計画を立てるのが苦手で、いつも目の前のことしか考えられなかったんだけど、今年、年間の振り返りと来年の抱負を考えていて、「これは1年では終わらないから3年くらいの期間で考えよう」とか「これは来年は出来ないから、再来年チャレンジすることにしよう」とか自然と考えていることに自分でびっくりした。
そういう風に、自分の考えが変化していることに気付いたっていうのも、振り返り=自己観察の賜物かなと思います。これが「認知の認知」ですね。
来年も引き続き振り返りしていきたいと思います。